2012-01-01から1年間の記事一覧

おつとめの時間

朝づとめ・夕づとめ 1月2日〜1月15日 7:00 17:00 1月16日〜1月31日 7:00 17:15 2月1日〜2月15日 7:00 17:30 2月16日〜2月29日 6:45 17:45 3月1日〜3月15日 6:30 18:00 3月16日〜3月31日 6:15 18:30 4月1日〜4月15日 6:00 18:30 4月16日〜…

第十章 扉ひらいて

稿本天理教教祖傳第十章 扉ひらいて 明治二十年: このように、内外多事のうちに、道は尚も弘まってゆくばかりであったが、明治十九年も暮れ、明けて二十年一月一日(陰暦十二月八日)の夕方に、教祖は、風呂場からお出ましの時、ふとよろめかれた。その時、…

第九章 御苦労

稿本天理教教祖傳第九章 御苦労 やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら 一 47 まだみへるひのなかもありふちなかも それをこしたらほそいみちあり 一 48 ほそみちをだん/\こせばをふみちや これがたしかなほんみちである 一 49…

第八章 親心

稿本天理教教祖傳第八章 親心神: このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり 四 62 いちれつのこともがかハいそれゆへに いろ/\心つくしきるなり 四 63 人間は、親神によって創造され、その守護によって暮して居る。故に、親神と人間とは真…

第七章 ふしから芽が出る

稿本天理教教祖傳第七章 ふしから芽が出る 教祖は、八十の坂を越えてから、警察署や監獄署へ度々御苦労下された。しかも、罪科あっての事ではない。教祖が、世界たすけの道をお説きになる、ふしぎなたすけが挙がる、と言うては、いよ/\世間の反対が激しく…

第六章 ぢば定め

稿本天理教教祖傳第六章 ぢば定め明治二年: 教祖は、親神の思召のまに/\、明治二年正月から筆を執って、親心の真実を書き誌された。これ後日のおふでさきと呼ぶものである。その巻頭に、 よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから …

第五章 たすけづとめ

稿本天理教教祖傳第五章 たすけづとめつとめの意義: 教祖は、陽気ぐらしをさせたいとの、親神の思召のまに/\、慶応二年から明治十五年に亙り、よろづたすけの道として、たすけづとめを教えられ、子供の心の成人につれ、元の理を明かし、たすけづとめの全…

第四章 つとめ場所

稿本天理教教祖傳第四章 つとめ場所元治元年: 元治元年六月二十五日、飯降伊蔵が、初めて夫婦揃うてお礼詣りに帰った時、おさとが、救けて頂いたお礼に、何かお供さして頂きましよう。 と言ったので、伊蔵は、お社の献納を思い付いた。 翌七月二十六日に帰…

第三章 道すがら

稿本天理教教祖傳第三章 道すがら 月日のやしろとなられた教祖は、親神の思召のまに/\、 「貧に落ち切れ。」 と、急込まれると共に、嫁入りの時の荷物を初め、食物、着物、金銭に到るまで、次々と、困って居る人々に施された。 一列人間を救けたいとの親心…

第二章 生い立ち

稿本天理教教祖傳第二章 生い立ち誕生: 教祖中山みきは、寛政十年四月十八日朝(註一)、大和国山辺郡三昧田に生れられた。父母: 父前川半七正信は、領主から無足人に列せられて名字帯刀を許され、大庄屋をも勤め、母きぬは、同村長尾家の出で、淑やかな人…

第一章 月日のやしろ

稿本天理教教祖傳第一章 月日のやしろ啓示: 「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」 神々しい威厳に充ちた声に、身の引緊まるような霊気がその場に漲った…

稿本天理教教祖傳 目次

稿本天理教教祖傳 目次第一章 月日のやしろ 第二章 生い立ち 第三章 道すがら 第四章 つとめ場所 第五章 たすけづとめ 第六章 ぢば定め 第七章 ふしから芽が出る 第八章 親心 第九章 御苦労 第十章 扉ひらいて